牛さん「モー」     1996.12.3   青柳隆之


今から11年前の、1985年1月。娘の名前は『愛』、その時、2才。今は中学一年。当時私は、江東区の大島という、亀戸の近くに住んでいた。女房は、そこから自転車で15分ぐらい離れた所の私立の保育園に勤めていた。その時に娘を、歩いて4、5分の公立の保育園に預けていた。

保育園に動物の絵本があって、保育園の先生が、『これは牛ですよ、これは山羊ですよ』って言って見せる。『牛はモー』って。絵本だから、かわいい絵が描いてある。うちにもその本はあった。愛は牛が『かわいい』と言う。実物は見たことなくて、絵本の中で『動物はかわいい、かわいい』という感覚で、2才何ヵ月まで来た。

正月に、栃木県の鹿沼に帰った。うちは本当に田舎で、ほとんど農家ばかり。私のうちも農家で、うちのすぐ斜め後ろ・・・と言っても、100メーター離れているのだけど、そこに酪農家がある。酪農だから、あの時でも40頭ぐらいの乳牛を飼っていた。ほかに子牛もいっぱいいる。愛に『後ろのうちで牛を飼っているから、見に行くか』と言った。すると、愛は『モーモーさん、かわいい。見に行きたい、見に行きたい』って言う。その行く道のり、とても楽しみにして行った。

そこの家に着いて、牛のいるところまで行った。そうしたら、牛が、片方20頭、ずらずらって並んで、縛られている。1頭何百キロもある。でかい。愛は、行ったらびっくりしてしまった。だっこしてそばに行ったら『こわい』って泣いてしまった。

牛っていうのは怖くはないが、あまりのスケールの大きさに、絵本とのギャップを感じた。絵本で見る小さいのじゃなくて、自分が1メーターもないくらいなのに・・・

私も、絵本でかわいいっていうのしか教えなかった。だから実物そのものを見た時に、絵本でかわいいと観念的に言われたのと、あまりにもギャップがありすぎた。私にしがみついて、そばに行こうって言ったら泣いてしまった。

私が小さい頃は、牛で田圃を耕していた。小学校何年かの時に、耕運機に変わっていった。だから、小さい時はどこのうちにも、台所のすぐ横に牛小屋があって、黒牛二頭ぐらい飼っていた。乳牛ではない。馬の家もあるけれども、どこでも飼っていた。それが必需品というか、耕運機の代わりだった。そういう意味では、小さい時から当り前に親しんでいたから、どうということはなかった。でも、街のど真ん中では絵本しかない。

海にしろ川にしろ、みんなそう。水がきれいだって言うけれども、実際行ってみないとわからない。観念的なのとは全然違う。愛の保育園の先生も、都会の先生だった。いい先生だったけれども、先生も牛を生活の中で、しょっちゅう見ていたわけではなかった。

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