私の子育てとPTA――PTAに求めるもの――
東京都練馬区立光が丘第八小学校元PTA会長 森章
     (全国PTA問題研究会 寄稿文より 1994年)


1. [子どもを取りまく環境]とPTA
 子どもの性質の歪み(いじめ等)が問題にされています。
 私は、三十数年、子どもや青年達と遊んできた経験を思いだしても、子どもをとりまく環境、(=人間を含む)がユガンで来たのが<子どもの歪み>の原因のように思われます。子どもは今も昔も素直だと思います。
「子どもの生活環境(人間達の行動を含む)を良くすること」が、最も重要だと思います。
 例えば、いわゆる「非行」「不登校」「いじめ」について、善意から「いろいろな対策」が発言され、実行されています。
 しかし、<歪み>の原因については触れないで、子どものみをいじくるのは、本質的には、弱いものいじめです。
 私は、子どもをとりまく環境としての、学校教育と家庭生活の「歪み」を取り除くことが大切だと思っています。そして、例えば、家庭生活の「歪み」を取り除く為には、親たちの周囲の環境(職場・地域・その他)も視野に入れる必要があります。PTAは、それが正常に機能していれば<私達が、その「歪み」を取り除くに必要な>手段の一つとして、私の生活の中に位置づけています。「歪み」を取り除く為に、どのようなことをしているか説明すると、一冊の本になってしまうので、省略します。

2. 私の教育観
 私の職業は、会社の役員です。今から三十年前から、青年達に、テニス・水泳・スケート・スキーを教えたり、伊豆諸島でキャンプや素潜りの楽しさを味わって貰いました。十五年くらいたった頃「収入が落ちてもいいから“良心的ないい仕事をしたい”新しい会社を作って欲しい」と言うので、経営を引き受けました。
 今年も、五月と夏休みに山奥の廃校になった校舎を借りて、三泊の自炊合宿と川遊びを、子ども達(社員と子育てサークルの家族)と一緒に楽しみました。

* この合宿を通して、大人も子どもも、多くのことを、自然に身につけます。
 例えば、山の水で調理すると、ご飯も、汁も、美味しいのです。捕りたての川魚を焚き火で焼くと、身も内臓もとても美味しいのです。反面、都会での生活が、物質的にも貧困であることを実感します。
* 本や話から“学習”した場合と異なり、生活が楽しいし、他の色々な<行動>に出るようになります。
* 頭だけ、口だけ、評論だけという「歪み」が(少しですが)取り除かれます。日常の生活も変わってきます。
* 一昨年、息子の薫(10歳)は、自転車屋でスポークを貰ってきて、鍛冶でやすを作り、竹を削って、道具を作りました。そして、合宿中昼食のために魚をたくさん捕りました。――食べるためですから、必要以上は捕りません。
* やすの作り方は、図書館で探した本を参考にしていました。
魚を捕りたい、そのために「やす」を作りたい。そのために本を読む。説明文を理解するために、分からない漢字を、漢和辞典で調べる。
* 「<国語の勉強>」のために、<学校で課題として出されたから>漢和辞典を引く」のではありません。
* 「(外から与えられた)課題」の為に、「自主的」に勉強するのは、外的なものへの「自主的」な「従属」です。金のために、ある人に「自主的」な「従属」をした人は、心まで売った点で、奴隷以下です。
* 「心を売らない子ども」が、学校や親から非難されるのは、私には耐えられません。何とかしたいと思っています。
 私は、勉強は、生活のための手段(やすを作るための手段)として位置づけています。今の学校教育では、「勉強」そのものが目的です。しかも「<その漢字を学ぶ必要性>を子どもが<実感>するかどうかについて」配慮せずに、(その子にとっては)外的に強制的に「課題」が与えられます。子どもは、面白くないのは当然です。「勉強」は「やりたくない」。「やりたくない」のを「やらせる」ために、いろいろな手段(強制や褒美)を与えざるをえないのです。
* 小学一年生は「はなまる」で釣れます。これはアメです。
 面白くないものを、強制的にやらされるから、だんだん勉強嫌いになって行くのです。このような「学校教育の歪み」を親達が応援するとどうなるでしょうか?
 子どもが、先生や親を信頼し、“その期待”に答えようと努力すると、その性質が素直であればあるほど、苦しくなってゆきます。
* しわ寄せが、子どもにきます。結果は皆さん、ご存知です。

「子どもの性質の歪み」が問題にされています。
 (「いじめ等」)しかし、問題にされるべきは、今の「学校教育の歪み」と「親達の生活の歪み」です。
* 息子は(余り)お金に頼らずに、生活を楽しんでいます。友達に誘われて、沼で釣りをすることになりました。クリップを相手に金槌でトンテンカンとやって、焼きを入れて、立派な釣り針を作りました。近所の竹藪で竿を作り、沼で根がかりした糸を使って、30cmの鯉を釣りました。
 現在は、正直者が馬鹿を見る世の中です。その中で、筋を通して、しかも人情味豊かに生き抜いてゆくには、親が子どもにしっかりした教育をする必要がある、と考えています。
* 私の家庭では、学校の勉強は、重視しません。子ども達は自発的にNHKのテレビ放送高等学校講座「物理・化学・数学」を朝六時から見ています。合宿その他色々な遊びをしているので、科学的説明が理解できて、面白いそうです。
 しかし、幸福を金で買おうとして、国の政治を歪めるような人間にはなって貰いたくないので、「お金に依存しなくても、みんなと日常生活を楽しめる」ように、工夫しています。金で幸福を買おうとしますと、色々無理が生じますので、お金に依存しないような大人になって貰いたいのです。

3. PTA活動における個人の尊重
・ 子育てについては、人によって価値観や考え方の違いがあります。
・ 自主的な活動をしている会員が、「子ども達のために意味のあること」を企画しようとすれば、意見の不一致が生じるのは、当たり前です。

 代表委員、会員が、のびのびと活動できるような、環境及び場を確保する、ためには、どのような活動方針にしたらいいのか?
<義務としてのPTA活動>を止めて、<本音を出せる、新しいPTA活動>を創造していこうとすれば、画一的な行事は止める必要があります。「企画したい人が企画し、PTAの組織を通じて全会員に呼掛け、実行委員会を作り、参加したい人が、参加する」ことにしました。つまり「会員の自主的な活動をPTAが組織的に支える」ことを活動方針にしました。
 実行委員会方式をとった結果、以下の点を確認することができました。

@ 役員の負担を軽くすることができる。
役員は、働いている人が多く(5人)、時間的な余裕がありませんでしたが、役員の仕事を無理なくできた。
A 価値観の違い、好みの多様性に対応することができる。
B 義務でやる行事と異なり、楽しみながら活動できる。行事は「やりたい人達が、やりたいことをやったので」おざなり行事はなかった。

行事には、「親睦」的な要素が入ります。しかし、この場合は、「親睦を目的とした行事」とは下記のような根本的な所で、異なるのです。
「親達の親しい感情」は「子育て」に関心のある親達、人間的なものを求める親達が集まって、ガヤガヤやっていると、自然に、結果として、生まれてきます。
* 「親睦を目的とした行事」では、相手に合わせるため、心からの喜びがありません。<本音>を出せる場合は、親達の子育ては直接人間的なものです。

親が本物を追っかけていると、子どもも本物を追っかける、そんな気がします。


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